麻雀のルールに、はっきりと統一されたものはほぼないと言っていい。
だが、確かに多くの人に認められたものや、その逆にほとんどの人に認められないもの
というのも存在する。主に論議のタネになるのは、その中間、いわばグレーゾーンに位置するもので
あろう。
「国士無双に限って暗カンをロンできる」というルールは、現在のところ僕の仲間内では
認めない方向でほぼ決まりかけている。みんなの意見を聞いていると、それはグレーゾーンどころか、
絶対に認められるべきではないルールだという主張のように聞こえる。僕はそれが腑に落ちない。
国士の暗カンロンは、グレーゾーンのルールで、しかもどちらかというと採用したほうが望ましい
ものだと、僕は考えている。以下にその理由を述べる。
暗カンに対してロンするなんてルール違反だとの意見に対して、僕の考えを書いておく。
確かに通常は暗カンにロンはありえない。しかし、麻雀のルールとはそれほど厳密なものであろうか?
ずばり言ってしまえば、ルール違反、特例はすでに認められているのだ。平和ツモがそうである。
この、非常に多くの人が認める一般的なルールは、あからさまなルール違反だ。しかし、どのような経緯で
一般化したのかは知らないが、この方が実際のゲームが面白くなっていると確かに思う。だから僕を含め
多数の人が、このルールを採用しているのだろう。麻雀のルールは、ある程度柔軟に変化を持たせ
て、ゲームを面白くしたり、納得のいくプレイ感を得られるように調整してもよいものだと僕は考える。
国士は非常に出やすい役満なのに、さらに出やすくするのはよろしくないとの意見が多い。
それに対しての僕の考えを述べる。
確かに国士は四暗刻とともに、非常に出やすい役満である。しかし、だから点数を下げようとか、
清老頭などの出にくい役満の点を上げようというのは、変な話だ。
いや、正確にはおかしな話ではないのだが。それはつまり、「役満の中にある不公平感の是正」
に関する話なのであって、今回の「国士の暗カンロン」についての話とは別問題なのである。
と、こう言うと「だからその不公平感の是正のために、出やすい国士のアガリのチャンスを減らそう」
という反論が聞こえてきそうである。しかし、ちょっと待ってほしい。結論から先に言うと、そういう是正は
別のときに別の方法でやってくれ、と僕は思っているのだ。その理由は、国士は確かに出やすいかも
知れないが、暗カンに対しては他のどの役よりも不利だからである。
国士は13種類の牌のどのひとつが欠けても成立しない。大三元に必要とされる牌は3種類。九連宝燈
は9種類を必要とするが、この場合は最低でも3種類の牌が欠けるまで(各種数牌のうちから1種づつ)
可能性が残されている。つまり暗カンに対してのみ言えば、国士は決して有利な役満ではないと
いうことになる。したがって、国士になんらかの制限を加えるとしても、それは「暗カンロンの禁止」
以外の方法に願いたい、というのが僕の考えである。
ここまで「国士に限って暗カンをロンできる」ルールもある程度の合理性が存在するという考えを
述べてきたが、ではそのルールは本当に採用した方がいいルールなのだろうか、ということについて
記す。
まず、最初に述べたようにある程度まではルールにそぐわない特例も認められると思う。
あまりに無茶苦茶なものは納得感が得られないだろうが、国士の暗カンロンについてはそれほど
無茶なものではないと考える。
そもそも国士自体、七対子と並んで「特例のアガリ」であるという事情が存在する。さらに、
カードゲームでも最強のカードが最弱のカードに負けてしまうといったルールは多く、「本来
絶対安全なはずの暗カンを国士にのみ破られる」というシチュエーションも(決して同質のものでは
ないとは言え)受け入れられやすいと思う。
次に、そのルールを採用したが為に国士がでやすくなってしまうことの是非について。
喰いタンは今でこそ広く認められているが、これだって「ただでさえ出やすい役をさらに出やすく」
しているルールである。それがたとえ同じ一翻役の一杯口との間の不公平感を増すことになろうとも、
この方がゲームが面白くなるとみんな思ったからこそ広く普及したのであろう。
僕は国士の暗カンロンも、これと同様、「ゲームを面白くするために採用した方がいいルール」
だと考える。たとえそれが他の役満との不公平感を広げようとも、麻雀というゲーム自体を面白く
してくれる要素だと信じているからだ。
以上が、僕が考えている「国士暗カンロン」ルールの妥当性である。
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